投稿

12月, 2015の投稿を表示しています

イメージ
形の秩序に従うこと。美しさの第一歩はそこから始まる。 欲深く、人任せな事で美しさは失われるので要注意。

オリジナリティと個性

所長は言う。 ミースはオリジナリティは強いが個性は薄い。 黒川紀章は逆。オリジナリティが薄く、個性が強い。 コルビジェはミースよりだが、個性もある。 オリジナリティの評価軸はどれだけ他がそれを真似したかだ。と。 オリジナリティはモノとしての普遍性。個性は人間。と捉えれるか。 それらを繋げるものは?

対極?

具象-抽象 意識-無意識 客観-主観 合理-情緒 機能- 計画- 理性- リアル-観念 古典-ロマン 唯物論-キリスト教 ヘレイズム-ヘブライズム 相対的-絶対的 20世紀は工業社会、21世紀は情報社会というが、極論で言えばどちらも前述する左方への傾倒であるように思う。 今自分の思考の8割は左方の思考だろう。こういうことを考えること自体がその思考だ。 こういった話は少し前の時代でもよくされたと思う。特に芸術の分野において。 絵画において、古典は神の世界を描き、その手法の発展として新古典、対比的思考、視点の移行によりキュビズムからの様々な現代アートがあるように思う。 しかし、古典の世界を概念的に捉えた場合、そこは右方の捉え方だろう。 この対極的思考は物事を捉えたと勘違いしやすく、本当は対極の間に、そのさらに深層に捉えなければならない何かがある。それに向かう議論が必要であるんだ。 建築は具象であり、情報の塊。だから、左方の思考に支配されやすい。だが、そういった思考だけの建物にパワーは生まれない。 良い建物はパワーを感じる建物だ。これは間違いない。どうしたらパワーが生まれるか。右方の思考に聞いてみよう。

街歩き

イメージ
構成された景色は時に美しく、時につまらなく見えるのか。と、当たり前のモノの中に様々な構成、原理原則を探している私の目。

健康

健康な体があることに感謝。そしてその体を大切にしなければ。 体が健康であれば、心も健康に。きっと。 悩んだりした時は走ろう。体で思いっきり空気を吸って、体が息をする。 部屋を掃除して、しっかり食べて、寝る。そしてもう一回考える。 体と心も自分の一部で全部が自分だから、なにかしら繋がっているのは当たり前で、どちらからの刺激がどちらかに影響を与える。 そして健康のためにはリズム、メロディが必要。流れる日常のリズムの中にクレシェンドやデクレシェンドがあり、単調にならないよう。それは感情と結びつく。世界がそれにより楽しくなる。それでいい。そこは周りの影響により反応はするが、あくまでも独りの世界。 でも、やはり対人関係の中に幸福があるのか?独りは他者がいての。 健康は独りのモノ。幸福はnot独りのモノ。か? なんて当たり前のことを思い、休みの日の朝は走ってみる。

中心

自分の中心はどこだ? ヘソか?心臓か?脳か? いや自分だ。自分の中心は自分だ。 そうだとすると、自分の周りがどう変わっても、自分は自分だ。中心を空虚にすると、周りもなくなる。どんなレベルであっても中心は必要で、中心からすべてが始まる。 自分が思うに、時間などの流れという概念と中心という概念があるような。太陽系のような。運動するものがファンデルワールス力のように重たいものの周りを回り。彗星がある軌道で流れ。そしてそれらは繰り返されている。 宇宙のような関係が自然の摂理として、人間の対人関係、自分の自分との関係、全ての原理原則のような気がする。 酔っ払いの夜に思う。

設計のイライラ

設計するにあたり、自分達若者は年配の方のような経験もない。そこだ。 若いことは、その分、原理原則に徹底していかないと適当にやっていることは、ある地点において経験者から明らかである。時間は有限であるので、すべてを調べることはできず、またその知識を得る方法も知っているものの、多く持ち得ていない。 それで、不意な視点により、そんなん知らねーよと思うことや、後でなんとかなるでしょと思うこともあるが、それは自分に対して不誠実で、単なる負け惜しみ。 有限の時間の中で押さえておくポイントを見落とした自分に非がある。次にどうするかを試されているのか? 流してしまえば大したことでないがそんなことを思う。イライラすること、弱気になること、それは気持ちよく生きていけない壁があるから。目的が間違っているのか?どこかに原因があるのか?自分の答えは見つかるのか? でも、自分は建築で生きていく。 精神論は置いておいて、失敗を成功の糧とするならばならない。 必死に勉強して原理原則の知識を使いこなせなければならない。知った上でどこまでやるかを考える。とにかく広く物事を注意深く見なければならない。意志をもって。

プロレス

イメージ
恒例ななりつつあるドラゴンゲート。仕事でチケットをもらうので…2回目。 どう楽しむのか分からないと初めは思うが、コレは無茶振りのやり合いだと思ってみると案外楽しめる。体育会系の高校生のノリのような感じがする。

竹板倉?

イメージ
日進市のとある公園にて。 全部竹。きっと木造の躯体に仕上げで竹を使っていると思うが…何やコレ!と車を停めてパチリ。

金山-西高蔵

イメージ
駐車場の階段室   金山周辺 縦横の鋼製サッシのシンプルかつシュっとした印象、美しいディテールだ。かつガラス面に階段がぼんやり写り、人の動きまで取り入れたデザイン。 どうだろう?20年30年くらい経っているのだろうか? 神社。神聖な気持ちになる。砂利を踏む足音。社殿の周りに陽の光が差し込む。 何故そんなに高い必要が?!

勇気

嫌われる勇気 この本との出会いは自分の世界が一新するような本ではなかった。しかし自分の思う世界感に自信が持てた。また言語化された中で、改めてその先にあるもの。次へのステップ。日々への還元。と言う意味で自分にとって、この本との出会いはかなり大きい。 アドラー心理学における、幸福へのシンプルな答え。そして、今、ここに生きる。 この本を読みながら、あの人やこの人も同じようなことを言っていたなと。そしてきっとその人達は幸せを手にしていたのかなと。 この先、自分が自分の今に生きる世界を想像するとワクワクしてくる。 良い本だった。

模型

イメージ
久々に模型を製作。 それは設計段階の一つの総合として重要だ。模型から実物をイメージしやすくなり、分析、評価と次なる創造のために力になる。 また、設計を進めるにあたり情報の共有がしやすく、伝えるための有効な手段だ。 それにしても上部と下部とが分離しすぎか?下部が上部のためにあるのならやっぱRCの庇を出すか。 所長の判断に任せるしかないが。。

従属

思考には従属関係があり、考え方や物事の捉え方にも順序があると思う。 政治における政策においても、トップダウンやボトムアップという従属関係が前提となっている。 順序を変えるとちがう思考となるということ。考えている内容は同じでも、思考をとりまく全ての関係、例えば、〇〇を考える前に読んだ本や行った行動、経験等、それらに思考は影響されるということ。それは、大きく言えば、様々な刺激に対するリアクションの中で生きているということ。 だから、全ての関係や自分にとっての当たり前を変えることで思考は大きく変化するだろう。そして造り手の私は、それにより造るものが変わると思う。そして、その変えたものが少なからず世の中に変化を与える。形あるものはすぐに古臭くなるが、形あることで存在を残すことができ、それは…。 しかし対人関係には縦でなく横の関係が重要だろう。重要というのは、アドラー心理学的な意味で。。 ということは思考も横の関係を気付くことのほうが「重要」か? 続・横の思考?

Reinbow!

イメージ
昼飯のうどん屋を出たら…oh!

インターネット

インターネットを介した情報社会について、再確認したい。 まずは正の側面について考えてみたい。 当たり前の事だが、人の利便性への要求より、ネットという共有可能な場を設けることで、多くの人が文字や画像により情報を得ることができる。そしてそこに市場が生まれ、きっと無限に拡大していく。 以下箇条書きにする。 ・一利用者は、文字や画像による情報から新たな創造性を得る ・情報の共有は仕事の効率を大きくあげる ・知りたい情報を文字、画像による関連づけより簡単に得ることができる ・より広い共同体意識を得ることができる ・市場として拡散しやすい ・ものでないのでかさばらない 以上。 それに対する負の側面。そして個人として必要なこと。続く。。 追記:ネット社会は横の関係を形成しやすい。何故ならそこに存在する自分は現実における様々なしがらみから解放され、自由に意見を述べたり、自由に調べたり、それが様々な分野の世界を横断しながら行うことができるから。

講演会 NAF

倉方俊輔さんの講演会が名工大であった。 倉方さんのやってきた事の紹介とその中で思うことのお話だった。 まず思ったのは、倉方さんが、モノ、対象を明確にしたうえで、その対象をとりまく全体を浮き出し、その対象の特徴を分かりやすい言葉で表現しており、建築思想にある評価を与えるのでなく、モノに内在する可能性を取上げるという姿勢に非常に好感を持てた。また、広く色々な建物の可能性を見る事が彼の目であり、それらをフューチャーして多くの人に知ってもらおうという気持ち、そうすることで建築をとりまく様々な環境を育んでいこうという思いに、なんだかスッとそうだなって思った。自分の楽しみが、他の人とも共有できるということのすばらしさを感じ、私も伝えること、育むことで得られる幸せに近づいてみたいと思った。 何故それがあるとかけがえないか。 建築は育むもの。 彼に共感できるのは、現代への確固たる眼ざしを持ち、かつ健康的な楽しそうな雰囲気を持っているからだろう。 いつか彼に自分の造る建築を見てもらいたいと思う。

無意識?

イメージ
無意識の存在について興味があり、書店にて購入。 悩みができたら、この本にあるメソッドを試してみようと思う。自己啓発本って胡散臭い感じで拒否感はある。これで悩みが消えるならと思うとやってしまう人の弱味を上手く漬け込んでる気がする。 ノージャッジ!フィフティ.フィフティ。でもの逆転。。。 試しにですかね。

ないデザイン

あるデザイン。 あること、ものをカッコよく見せるための装飾。これが一般的なデザインだと思う。 だがそこにはデザインすることで自己を肯定し、そこに喜びを得るデザイナーの意志が入り込んでいる。 ないデザイン。 それはあることによるデザイナーのオリジナリティが作り出さない。だが、ないことを創ることで、あることが純化する。そのあることは徹底的にデザインすればよい。だからないデザインは必要だ。 すなわち、あることのためのないことだ。存在は存在し続けるわけだから。 何をしなかったか。 それは受け入れにくいことであるが、非常に大切なことだと思う。

ギャップ

イメージ
今年も行きますか! というのは自分の興味が人に向いた時。普段あまり思わない感情。

営業?

多くの人はブログを営業ツールとして使う。個人の意見を別の世界の誰かが簡単に見ることができるところに価値がある。至極当たり前だが。 だから、セルフプロデュースするためにキャラクターを触れないように固めないといけない。作らないといけないと思う人もいると思う。でないと、見る行為の的にならない。それでは営業にならない。ということになる。 しかし、ある人達は自分のための日記としてだ。思いのままにクラウドに描かれた内容は別に他のためでないので、検索に引っかかってほしいとは一切思わない。だが、先にある営業のための練習としての場となるとは言える。そうしよう。

マイブーム

イメージ
野菜生活 カブうまっ!

評価軸

建築の評価軸 それは多層にまたがる。一点突破型のコンセプト一つの建物がすべてでない。評価軸が多層にあることで、建築家は色々な軸で建築のことを考察し、表現も多様になる。 それは建築のための建築をとりまく世界を健全にするために必要だ。 だが建築にはパワーがあり、 設計者として重要なことはそれら評価軸を正当に分析し、場合ごとでどこに比重があるべきかを整理することが必要であろう。 人の評価 評価は人間関係の中で自然に行われていて、そうしないと物事が前進しない。だが、そのスピードがあまりに速いと、 その価値を安易に見定め、もったいない関係となってしまう。そして可能性はパワーをもつ。 自分にとって他者の。 社会にとっての自分の。 ある世界の中でのある人の。 それは育むものである。 評価するための心 批判的、懐疑心、好奇心が評価の第一歩であると思う。 当たり前のことだ。

発見!

発見の目を発見! 緊張感、好奇心、向上心、それを外に向けた時。 低空飛行のままで。

丸い木造の家

イメージ
大工さん集団。 休憩時間は次へのモチベーションのために。

マイブーム1

イメージ
野菜生活1