矛盾を超える
終電を逃し、酔っぱらいが歩きながら思ったのは、やっぱり自分の心と向き合う意思だった。
ありのままの自分を環境という鎖から解きほぐし、自分の夢へ向かうことは何なのか?
自己実現欲求というパワーは自らを奮い立たせるが、そこに嫌らしさがあるものか。
大変な行動を伴う大きな壁に立ち向かう。だからそれさえも受け入れなければ自身の進化はないのか。
そのために自分自身の心を磨き上げる。表面でなく本質。深ーい海の底を覗き込もう。
心が原因で環境は結果であるのだから。
有限でメモリーの少ない自分の脳による短絡的な思考に、それを超える無限で均衡として現れるリアリティーが自分の何気ない行動であり、そこに矛盾への理解とその向こう側があるのだと信じる。
物質と空間をつなぐ「時間」が今のヒント。それは概念ではなく、人の心がつくる環境という直列的でない対象化は果たして意味があるのか。
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