構造

可能性のない自我が絶望し、そして、必要性のない自我もまた絶望する。
もし、可能性が必要性を追い越したら、その自我自身は可能性から逃げ出し、戻る必要性はない。これが可能性の絶望である。
決定論者や運命論者は絶望し、絶望した人として我を忘れた。なぜなら彼にとってすべてが必要性になるからである。

Sφren Kierkegaard




自身、もしくは他者を信じ、未来に自身を委ねることは幻想である。そこに絶望があることを未だ知らないことが唯一の救いであろうか。
だから現実の中にある必要性に答え、必要性の中にある真偽を因果関係に基づき思考するという一般概念の重要性が本当の意味で難しい。

(現実の中での多くの混同は必要条件と十分条件が曖昧性を含む命題に対して適応され、そこに誤認を抱えたまま結論づけることによるような気はする。つまり、問題を分離りするか、曖昧性のパラドックスとして、偶然性を引き出すのか。それとも・・・?)

世界はきっとシンプルだ。
僕は「建築は構造の問題を従えた芸術である」ということを信じる。そして、力の表現はそこでシンプルな自然法則を体感できる現実であり、クラフトマンシップという、物への執着、思い入れは美しい。
仮象で、諸行無常である人が創る芸術が求める目的は何なのか?
現実社会の中のに結びつけ、審美的な不完全性、精神性、形式性・・・再認識する必要性に帰結すると思う。

巨匠たちのディテールⅡ エドワード・R・フォード/八木幸二 を読んで。

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