空となめくじ


ふと気づく。現象としての環境と、存在としての生物。
変化と実在。現象への存在としての順応。ありのままで内からの生命力、自己を信じるのか、武装することによる対外的な対応を優先し、力のヒエラルキー、社会性に個を委ねるのか。

二項関係による思考で短絡的な結論は避けるべきではあり、各々の世界観は対象への距離感によるものだと思う訳だが、現象の思考と存在の思考の区分により、対象への理解が整理できることを今更ながら思う。

自分の思考を思い返すと、現象:存在=2:8くらいの割合ではなかろうか。子供の頃から、人との関係より、物の存在に触れることに、より楽しみを感じてきた。だから思春期なんかは、逆に、楽しい対人関係に憧れる時期もあった。今も時折思う。

建築において考えるならば、職人的か社会的かということだろうか。
またモダンから現代における建築の中で個人の建築家の表現がどこに軸足をおいているのか、ディテールを学ぶなかでその意味を解釈することが、建築哲学のリアルな楽しさではないだろうか。

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