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2月, 2016の投稿を表示しています

日曜日

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音響セミナー。音を伝えないための構造、良い音のための室内環境。非常に勉強になりました。データの蓄積のみが物語る科学の世界。因果関係がはっきりしており非常にわかりやすい。机上の計算と現場での再現性には明らかな答えがあるようだ。だが、数字で表すことのできていない現象もあり、技術と芸術、人間のあり方を考えさせられる。 オープンハウス。東刈谷の家。 ものとものがぶつかり合い生まれる空間が僕は好きだ。他方生活との矛盾を存在の意味を見いだすために確保する必要がある。そこに人がいる。そしてモノとして建築がある。 そのために設計の密度は高くありたい。自身の思考への緊張感を常に保ちつつ、奥歯に力を入れて、顔はスマートに整えたい。 良くも悪くも自分の意識次第で建築の見え方はころっと変わり、若い自分にとってはその目、感覚の怖さを感じる。 モノとして、器として、生活の場として。 自分のやりたいことと、自分のできること、自分自身とは違うことを考えさせられる。

バレンタイン

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今年のバレンタインチョコ。 感謝です。 とても美味しくいただきました。 こういうモノをあげるという行為はやはり魅力的。モノからの解離の先には冷たい世界がある。 またブランドという自己プロデュースするに当たり、らしさの表現の非画一的な側面は利益追従の方向だと難しそう。このチョコは美味しいが、味以上に感じるものがなく、ブランド化したいんだろうが。。と少し痛い気持ちになってしまった。

コスプレイヤー

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何だここは? 今の自分を取り囲む社会の違和感。何か宇宙の法則からはずれた、陰徳のない社会というか。 この時代が残した足跡は綺麗じゃないことはきっと間違いない。きっと昔、 1870-1900 年頃のような大きな変化が明日にでもくるのではないかというような予感があり…、それを見て見ぬ振りする怖さ。 マンフォードや彼の時代に生きた偉大な賢者がもし今の時代に生きたら何ということか。。情報、資本、スピードに溢れる時代を。ただ言葉、芸術の力を信じるべきか? この先の未来を考える力が人にある以上、そこにはまず過去の偉大な先輩が残した足跡にヒントを得る事は有用な方法だろう。 きっと個人がどう向き合いコントロールするかを個人の意志で判断するしかないのだろう。 コスプレイヤーの集まる鶴舞公園での違和感から

評判?

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冬の夕陽。写真では絶対伝えれないが、陽の尊さを感じる。枯れた枝木に当たる陽は、 そのこれから発芽し成長していこうという新しさにわずかながら表現のステージを与え、そこで揺れ動く枝木は風に揺れ私たちに囁く。 私のことより自分の声を聞いた方が。と。 最近休みの日は図書館に行くことが多い。そこには冒険しに行く気分で、新たな出会いがたくさんあり、すごく楽しい。 そんなことより本との出会いに変に思うことを綴りたい。 それはamazo◯の評価の機能だ。 何が変かというと、知らない本を見つけ、気になった時、買うか買わないかの尺度として誰が書いたか分からない評価に惑わされるのは、買う方は大きな迷惑だ。こんなもの売り手の操作はどれだけでもできるし、信用できないと分かっている。だけど、そこにあると見てしまう。というのも自分が読んで良い本だったと思う本が、評価を見てみたらズタズタに書いてあって、すごくショックだったから。こんなこと…。と思うかもしれないが、少なからず恋した相手をバカにする誰かを快くは思わない。 まぁそんなこときっと考えてないし、相手にもしてないのだろうが。

できないこと

自分を見定めることは鏡なしでは難しいみたい。だから他人を鏡にすることを意識する。 いつも飲みに行った次の日は薄くだが後悔の思いがある。 自分のできないことの多さに落胆するから。

楽しむこと

杉下均さんと佐々木敏彦さんの講演会があった。 二方とも建築を楽しんでるのがすごく伝わってきて、その楽しみ方は違いはあるものの、魅力的な方だった。 どうしたら楽しめるかという事をきっといつも考えているんだろう。 佐々木さんの「ポジティブなストレス」「見えない大きな力に注意」という言葉は当たり前だが、自分も気をつけようと思う。プレゼンからは、運動部的な建築の楽しみ方。というか、彼の日々の楽しみ方から少し建築に繋げるという話方の魅力が聞いていて飾らないオヤジの格好良さがいいなって思う。 杉下さんは逆で文化部的な建築の楽しみ方。建築のモノとして、その哲学的なところを自分のイメージを通して話していただいた。綺麗なイメージと実作とのギャップを感じるが、そこの距離はきっと服部さんや他の建築家より近い所にいて、設計の技をよく心得ているように感じた。 それぞれでよいが、互いのアプローチは建築というか住宅の設計の楽しみ方の幅を垣間見れ、迷える自分にとっては何処に足を置くか考えさせられる公演だった。

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無口なモノに耳を傾ける。 守りの型。落ち着く場所です。 絶対落ちへん。 見て欲しいなんて言ってないし、綺麗じゃなくても、気持ちに気付いてくれてありがとう。

失敗

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現場には緊張感とnot緊張感が混在している。それは人の気持ちのすれ違いで、僕はその間を埋めるように仕事をする。気持ちを込める。創ることへのスマートさは求められていない。 人の失敗から新しく学ぶことがあった。

どれを捨てるか、「捨てる技術」にセンスが問われる。 齋藤孝の速読塾 本を早く読みたい。この思いは誰もが持つが、自分がある本と出会うのは、そらまでに捨てられた多くの本、情報、時間、経験があってのことだ。 スキル以上に充実した良本である。

継続

モノゴトを続けることは当たり前だが大事で、 ・単に強迫観念でやらなければならない。 ・意志を持って、やりたいからやる。続ける。楽しいから。 ・強い意志のために、やる。意志のための行為として階層は下がるが、主体的に目的をもって行う。(これは目的をすり替えられるので注意が必要。) と簡単に3つの継続が自分のなかにある。 だが完璧主義はストレスになるので、できなかったことをあまり攻めないようにしないと。 今日、朝風呂、朝ご飯抜きになってしまった。反省。

言葉

これは真理か?  最終的に残るデザインって、やはりとてもシンプルなものばかりですよね。ただ見た目にはシンプルでも、背後に含まれている膨大なものが自ずとにじみ出ていてそこのところを生活者は何となく、しかしちゃんと感じ取っている。だから「あ、これいいな」と感じて、暮らしの中で長いこと使い続けられているものって、非常に複雑に交錯している要素をきちんと交通整理して集約した結果、おのずとシンプ ルになっていったものと言っていいのではないでしょうか。 (平松洋子氏 エッセイスト) http://nkbp.jp/1KeSPhu 結果論、努力論への信仰は少なからず誰もがもつ。なぜなら、未知のモノやコトに対する驚怖があるからなのでは。興味、本能のままにいまを楽しめば良い。方法ではなく気持ちが先行しているのだから。