投稿

2016の投稿を表示しています

2016

イメージ
  この一年の僕の重要だったキーワード。 光 ー 歓びの感動 ー 統一性、 発見の感動 ー 多様性 分かりやすさー分かりにくさ 欲のコントロール 雰囲気とコミュニケーション 情報発信 自然 ー 素材 ー 職人 歓び ー 継続 感情のバイブレーション 人が作り、人が住む 答えは一つ 愛 ー 経済 ー 欲望 建築 ≠ 建物 構造、物体の超越性、実存、時間 仮象の具象への投影 変化の真理と実存の真理から建築の境界を見つめる。 責任ある切捨て、 0距離での建築、ディテール、部分から全体へ 粋 自我による真実の矮小化 執着と自尊心 可能性の回帰性への絶望 「誠実さ」、感謝、尊重 ほんとう ー 関係性による客観的真理 ー 妥当性の可能性 ー ポジティブな欲望 以下来年の目標! ・意思による別概念への親和性の発見を整理していくこと。 ・同一性の適格な評価と取り入れ。 実家より朝日を望む大晦日にて

夜散歩

イメージ
思い耽る時間は常に用意されているけど、便利さがそれを邪魔する。 大事なことに集中できるよう、不便なことをやってみたり。 誰もいない深夜の平和公園。

最善

結果は分からない中、不確かな世界で後悔しないために想像できることを想像しつくし、やれることはやり尽くす。 それで次の日には忘れれること。 空白への覚書

御馳走

イメージ
贅沢なクリスマスディナーを家族と食べる。ありがとう。 目標!いっぱい食べて太る!

ジャンプ

イメージ
想い出の場所から再出発。 跳ぶことの勇気と覚悟。 ユーモアがある日常も良し。 夕日をバックに。

歓び

イメージ
歓びは一瞬でなく継続した過程の中にある。

オープンハウスに行って

わかりやすさ、写真映えする、そんなケンチクを皆考えているんだな。 人ー建築ー自然のぼんやりした境界線をデザインという欲望で人の目を知ってか知らずか、どっしり股がっている態度はいかんと思う。 斬新さと遊びの違いは能動的な主体があるかどうかだと思う。誰のための建築かを改めて考えさせられる。 この先の危機感に怯える体験だった。

街を見る

個人の利益のための個人的な行為は活動の根源的な力として誰もが持つ。だが個人が個人としてあることは他所との共生関係のもとで、そこへの思い、優しさ、感謝の念が同時にあるべきだと思う。 だけどそうはいかない。 都市部は建物が密集していても土地を利用できるよう、経済の効率性に偏り、まず個人の利益を守られるように体裁を整えている、都市計画法、建築基準法がある。 頭で考えている都市計画は、そこでの生活者、それを誰が作るかということに重点はおかない。息苦しく、閉じ込められた部屋、床面積等の数字上の意味を頭ごなしに指導することに本質的な意味と勘違いしているとしか思えない。 マンションという鉱物的なモノの集まる都市に、変化という本質を踏まえ、身体感覚に基づく街であったらいいなと思う。

結婚式

イメージ
高校の友人、池田の結婚式 和やかな雰囲気、素晴らしい演出、感動しました。おめでとう。

西区へ

イメージ
 城西の家のメンテナンスの際の写真 季節によって変わる光の質の多様性を経験できた。 その後、別の現場へ 人間業とは思えない鉄筋。映画マットリックスのセンチネルを想起してしまった。。

二つの潮流

ホンモノー小洒落た イメージー分かりやすさ 経験ー知識 キャッチャー型ー ピッチャー型 経済性という社会の大きな潮流のなかで、前者の潮流はかぎりなく小さいがなくならないことを信じたい。

契約

建築と恋愛は似ているように思う。 愛と経済と欲望のバランスの契約。 愛は長期的な強みを持ち、経済は短期的な強みを持っている。 経済は需要と供給に合わせ変化することで成り立ち、その変化に置いて行かれたものは廃れていく。そして思考の対象が広範囲で大網漁のようなもの。 愛は周りの環境よりも、自分が思うかどうか。熱くなれるかどうか。だけど、個人と個人の関係で継続的な関係だと思う。育むものだから。

世代?

ヴィクトリアズ・シークレットはミレニアル世代に見捨てられる? http://forbesjapan.com/articles/detail/11873/1/1/1 時代の変化は身近な所にも訪れ、いつのまにか変わっていく周りの変化の早さに、自分の感覚を常々自己評価することは積極的に必要だ。 自分が良いと思うものを選択できるとき、時代遅れになることに怯えながらも小手先のデザインに走る方向は廃れはじめるんだと思う。特に建築は。 また個人の選択一つ一つは、経験による感覚的な優先順位であることによるならば、極論では個人が尊重され、ブランド化そのものの必要はない。 ミレニアム世代という世代格付けは、優先順位の社会的変化を読む勝手な感じがし、対しての年配世代との尊重関係を気付きことへの優先度は低く感じる。

答えは一つ

プロフェッショナル仕事の流儀 アニメーション映画監督 細田守 を見て。 「自由じゃない、答えは一つ。」 改めて、はっとさせられる。 建築も機能、敷地、施主、製作者と自分を照らし合わせると答えは一つ。 答えー秩序 偶然性を取り込む、あきらめること、デザインしないこと。 素人目の騙されやすさ、無知だからこそ力になることもあるんだと思う。

感情ー安城市の動向

地元の安城市のことを少し調べてみた。 最近の研究。2015 https://www.city.anjo.aichi. jp/shisei/mirai/documents/ juutakuseisaku.pdf 政策と方針に対する研究なのでそのままは受け入れがたい話。 人口動向まとめ http://urbietorbi.hatenablog. com/entry/2014/04/20/222927 2030年を目処に減少するんですね。 今日のyahooの記事 http://news.yahoo.co.jp/ feature/423 コメントで共感できる点もあり面白いと思う。 以下は上の記事を踏まえた僕の意見。 大事なのはその背景にある社会動向と個人の感情だと思う。 政策や民間事業の「つくる側」 の都合による合理性は住民には通じないと思う。 だから安城は過激な政策がないかぎり、 駅周辺より郊外のほうが住みやすく感じるし、 これからもスプロール化していく方向のはず。 街や建築は「人の感情」とそれを超越しようとする「製作者のクラフトマンシップ」により変革、創造されていくべきと思う。 街や建築には、「生活」が直接現れるから。 合理的なロジックのよる頭ごなしに与えられた計画に我々日本人は抵抗するのだと思う。会社等で十分味わっている自由の少ない雁字搦めな状況に対し、自由な心やゆとりのある生活を求めることは必然。 反して、西洋では、民主主義、人民権を社会が受け入れている状況のなかで、個人の自由は社会的に認められている前提にたつために、個人の生活レベルに都市計画等のトップダウンの政策も受け入れられやすいのではと思ってしまう。なぜか?宗教的な違いが大きくあると思う。 もっと感情的な力を許容できる社会になってほしいと思う。そうすれば日本の街、安城はもっと綺麗になんじゃないか。都市の政策を素人目で眺めると、方法だけどっかの真似をして中身のないものに飽き飽きする。10年後の社会ではなく40年後の社会に期待したい。

別の現場へ

イメージ
三ケ峯の家 建築が出来上がっていく瞬間に少しでも立ち会えることは、本当に感激する。完成前の生々しさに息をのむ。  こんな雑多な感じが良い。 ・・・ただ効率は悪そう。 本物の技術の勉強場に行く事にできることの感謝。

休日満喫

イメージ
佐藤くんの結婚式二次会 土曜の夜 笑顔になれる時間は心地よく、あっと言う間だった。ほんとに自分も早く結婚したくなる。 ドライフラワー初挑戦 その灯ぐらし猫洞店さんにて。 母にプレゼント。 暗がりになかなか合う感じ。 岡崎市美術博物館 僕はベラスケスの絵画がピカイチ。 母と妹 夕陽 久しぶりにこんなに綺麗な空を見た。

イメージ
鉄錆に萌える。 現場で一息。

美味い

イメージ
事務所でもらった柿を皮ごとパクリ。 柿の美味さにビックリ。ペクチンたっぷり。

秩序

イメージ
自然発生的な梯子の秩序 まっすぐにならないことがなぜか使いやすい。

イタリア旅行13日目

イメージ
10/23 ローマ観光 ・コロッセオ ここは行っておかないと。すごい人です。思ったより楽しめました。展示が良かったです。 ・フォロ ロマーノ あまりの大きさに開いた口がふさがりません。 スペインにある美術館の似たような構成を想起します。(写真でしか見た事はないが) 良い光の空間もありました。 ・ローマ現代美術館 亡きzaha hadid 氏 古い建物を見た後はかなり新鮮であったが、建築が、ある現象として環境なりの周囲との関係、調和を考えるところには全く共感できないです。 なんかギラギラしていて、日本人的感覚では良さが分かりません。 アートとして見た時、こういう世界観もありかなとは思います。 建築に関わるの写真展があった。 この展示は非常に面白かった。 http://www.fondazionemaxxi.it/events/extraordinary-visions-italia/ ・アウトドアフェスティバル2016 近くでやっていたので行ってみました。 古い建物を使って、お店やインスタレーションがあります。 倉庫か何かだと思うけど、内部の空間は行ってよかったと思える空間。 家族連れが多く、皆楽しそうです。僕も独りでなく、誰かと来たかったな。 インスタレーションは面白かったです。現代美術の楽しみ方は、大衆化し、現象化を見る事にあると思っているけど、そこに残る何とも言えない感覚と、古き物を見たときの感覚にはジレンマを感じずにいられないです。 この後、北京経由で日本へ帰国。長い旅行疲れました。 帰国後、中学に友人の家へ少し飲みに行きました。 おしまい。

イタリア旅行12日目

イメージ
10/22 ヴィラ・アドリアーナへ ローマから電車とバスで1時間半くらい。 バス停から20分くらい歩いたかな。ティボリの近くです。 着くまでになかなか疲れます。 到着。 ここも楽しみにしてた一つ。思った以上に広いです。 大学時に西洋建築史で習ったなー。 建築のプロムナード性、ピクチャレスクな構成を多用しており、かつ光と影の重なり合いが盛り沢山で、どんな空間だったか想像すると怖くなります。 教科書やガイドブックにはなかったが、他の建物がすごい!ポンペイとは違う規模で、建築として見応えがありまくります! この建物は少し離れた場所にあり、上に登ると… 360°パノラマの絶景でした。 3時間くらいのつもりが、結局1日丸々滞在してしまいました。 土曜でしたが、人も少なく最高な場所です。