建築家が外部との連続性を意識して、自然を取り入れた設計ですといい、ガラス張りの建物を設計する。 ん?何それ? 理論的に、外部からの採光、通風をとりいれることは内部環境にとって良い。自然の景色があるとしたら、それを感じる場所があり、景色を楽しみながら…というのも良い。可能性を楽しみ、選択肢があるから。人はそんな単純でないから。だが、単純にガラスとは短絡的で、そこにインテリジェンスも情緒性もない。だが皆、そう造る。きっと私もそう。 家に求められる空間とは?こういう生活をしたいだろうと想像することが設計なのでは?人は多様だ。居心地の設計。 そんなことでない。 時間の連続性、空間の連続性の話だ。時間は連続しているが、生活の中には節度があり、それにより思考を切り替えたりする。すごく健康的だ。同じ時間がずっと続くと、思考は偏り、可能性という楽しみを奪われた気がする。 だから適度な連続、不連続を繰り返し、生活する。そして、そのスイッチは空間の不連続性による。 気分を変えたいなら、外に行き自然と向き合えばよい。それが自然の一番の楽しみ方だし、建築の中から自然を感じるとは自然に対しての敬意がない。個人のため自然ではないのだから。 建築を設計するとは、空間を創り、時間、思考、外部との境界をつくることだ。そこに意志をもって。不連続性と連続性の意志。 不連続性を楽しむ。 だから私はモーニングに行く。