不倫問題から考える

不倫は悪?
僕の結論から言えば、社会レベルでは悪とすことに賛成。個人レベルでは絶対に悪とはしたくない。
先に不倫の特徴を考える。
・だれもがもつ性欲を満たす手段。
・夫婦愛が満足されたときに埋められてない欲求に向かう自然な法則。
・理性でなく無意識にあるもの。意識できない上に危険。
・性の可能性


以上をふまえると、理性で性欲を完全にコントロールできるなら、そうでありたい。
でも完全なんてないし無理だ。偏りすぎるのも良くない。
なぜなら性欲のプラスの作用よりマイナスの作用のほうが多そうだから。だがこれは社会的に刷り込まれているようにも思う。

性欲のマイナス面。もし、社会が不倫を応援する場合どうなってしまうか。・・・街で目の合った男女がホテルに行き性行為をする。性欲のパワーはすごいので、皆が目をギラギラする。理性でなく欲が支配する社会?不倫ビジネス。犯罪もきっと増える。
その反面、結婚した夫婦は純粋に生きていくパートナーとしての価値観となるかも。
教育への影響はよくない。性に敏感な年に不倫が善とすることを知ると、無意識、愛を感じ、何かを信じることへと考えることにそもそもの不信を覚えると思う。

欲というのは使い方により人の可能性を引き出す源泉。今、自分を使って実験をしているのだが、欲と理性、夢への逃避と現実への集中力。結局はバランスだろう。だから、上手く使いこなせるなら使えばいいし、できないなら手を出さないのが無難。

建築を考える。建築、特に住宅はそこに住む「人」のための存在。
だから理性という人間の綺麗な部分(健康、成長、美)と、欲などの本来の人間の部分、全部を引き受け、受容しないといけない。内面的な部分もあり、外見的な部分もある。Aでありまたその反対のZでもある。だから美しく、また普段着のような着心地、感嘆の時もあり、それが物語として時間として連続している。時間の連続性は空間の不連続性により節度を人にもたらす。
だがこれは自分。価値観の依存度により表現の中では濃淡が現れることになる。

ファッションを考える。異性にモテたい欲や自己顕示欲、そして周りに合わせる。一見綺麗にみえる。表現という意味でそれも人がつくる一面。場当たり的で実在としての自己がない。中心がどこか空虚だ。そこにあるのは内面と外見の関係、その関係とだれかのその関係の間の関係、そこでは本来的な人とモノの直接の関係はなく、間接的な関係のみとなる。僕のような浅い思考では、そこにとらわれると思考の対象の存在が明確でないため、考えないことによるなんとなくの満足感が得られたような気になるだけ。



それは社会の協調性がなくなる。ということになり、

これが話題になるということに、平和な日本だと思う一方、
これは個人の

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