投稿

4月, 2016の投稿を表示しています

イメージ
建てることの力学的美。 志しの最初の興味の対象。 そこに人はいない。 人が行う最も神聖たる行為ではないだろうか。

独り

誰かが言う。 「そんなんだと結婚できない。」 「自己中心主義でいいの?」 答えは「違うし、関係ない。」 理由は何通りでもあるが、そこが重要でない。 感覚と実践の違い。そして自分の時期。製作する意思の問題。 「成功したいし、いい人でありたい。」なんて言わないように。。 分かったつもりで自分を惑わす人は大勢いて、足を引っ張る。彼らとは付合わないことが懸命。

とりあえず

仕事の先輩の娘が「とりあえず・・・」とよく言うらしい。 言葉が無意識に反応することを考えると人ごとではない。 とりあえず 行動する 経験が理想や普遍性に先立つという点において良いことのように思う。しかし、行動する内容をどう捉えるかにより意味がかわる。 例えば仕事。これは大学時代に教わったこと。 仕事のグレード、優先順位 Mission: 一生かけて、命をかけてこの世のためにする仕事(建築) Work:自分の達成した成果、作品、Missionの達成物(建築物) Job:職業、社会的分業の中で自己に割与えられた仕事領域、専門技能、やり方(設計、施行、法規etc) Labor:労働(製図、納まり検討、計算etc) とりあえずがLoborのレベルでのとりあえずなら許されるが、それ以上のレベルでの計画性、理想のない”とりあえず”は危険である以外なんでもない。 気をつけよ。

理想と現実

理想主義:現実への意味付け。価値。現実を直視しない。 現実主義:結果のみで判断。冷徹。 人の評価基準は結果でしかない。 実績を造るため、0→1 はとても大変な作業。 現実を理想に近づけるためのゲリラ的な行動。 圧倒的行動量。 そこにはプライドが邪魔だ。 その奮闘する日々はきっと幸せだ。

どう思う?

「これってたぶん○○なような感じな気がしない?」 耳を疑う。どういうことなんだ。 「これはたぶん○○だ」or「これは○○のようだ。君はどう思う?」が原型だろう。そこから「ような感じ」により-ような雰囲気を醸し出す○○-となる。それは○○の存在を雰囲気、印象として捉えている。そして「気がしない?」これは良くない。意思の強要に聞こえる。こんなことを言っている人に聞きたい。「で どう思うの」って。きっと答えは返ってこない。言葉にも無意識が現れると思う。

現実螺旋

同じことを何度も考えている。 でもそれは以前の思考より深く、さまざまな事柄を取り入れる。 だけどすべてが幸せという方向への成長のベクトルに向かい続けているのだろうか。後からそれを捉える際に美化していないか? 1+1-1-1-1-1+1=-1 今が連続しているなら、+とーのみ。ー×ー=+だが。。そもそも+、ーの判断は常に保留状態で連続していることが多い。 でも、そこを歩んだ感覚は蓄積され、きっと自信となるんだ。

白とは? 絹のような麗しさ 汚れなき純粋さ、汚れてしまう儚さ 女性的な。。 光 白といっても物によってすべてが全く異なる。 どうも美術館の白い世界では清さへの強迫観念なようなものに襲われる。 そこに憧れるが、僕は身の丈に合っていない。 だけど僕のアパートの漆喰の白さは好きだ。そしてそこには暗さが必要みたいだ。 「利休をたずねて」の映画の中に見る茶室の中にある白さ。人の心にある白さ。 逆に汚れた存在。これからもまだまだ発見がありそうだ。

丁寧に

葉桜は好きだ。つぼみも好きだ。 満開の桜はあまり好きになれない。 妬みか? もちろん綺麗だと思う。桜の一年に一度のハレの舞台は、その他のすべての時間の集大成。 花が咲くとはそういうことか。 だから見ていて嬉しい気持ちになる。 「さすが!」って。 桜自体が好きでないということでなく、花見などの人間の行事が好きになれないのかもしれない。 まず大人数で何かすることはあまり好きでない自分にとっては、皆で花見をすること自体本当の意味でわからない。行事として、誰かと合うために、花見に行くのか。。副次的効果に目的が移行していないだろうか?と思う。 華やかさな桜だけでなく他のすべての桜もなかなかいいじゃん。 桜もそのときだけ見られていて・・・ 植物も存在そのものに意味があって、とって変えられるものでない。相互関係の中にある。 すべての関係に感謝。 その存在に感謝。 自分の存在にも感謝。 すべてに丁寧に。 桜散る季節に自然に教えてもらう。

逃避の技術

皆知っている。 不器用な自分だから逃げれない相手とは真剣勝負する。 むしろそうしたいんだ。

地獄への階段と天国への階段

螺旋階段の周りの壁をRCにすべきか木にすべきか。 ここに思考の一方向性があると思う。 木ー階段ーRC 言葉の上の解釈。ーは→であり=ではない。 そして中心がどこにあるか。 ディテールの難しさと素材のリアリティ。 その裏返しが、素材の無存在とディテールをなくすこと。 「君は何になりたいんだ。」

桜満開!

イメージ
桜が気持ちを明るくしてくれる。 久しぶりにあった妹。これから先生になるのだけど、大丈夫?と思っていた。余計な御世話だった。本当にすごく逞くなっていた。これからの彼女が楽しみだ。 そして自然体で変らぬ笑顔に元気をもらう。 家族関係のナイーブな悩みはそこになかった。

完璧主義

存在としての完璧さ。山、川、木、それぞれが完璧でそれぞれを比べることができない。ある評価軸にあてはめて比べることはできるが、それは勝手なこと。 そのための感謝。そうすることで良い面を見る習慣が生まれると思う。 逆に存在として欠けていることを考えると切りがない。お金、情報・・・ 自分に批判的になり、相手に対しても批判的になる。良い循環ではない。

不倫問題から考える

不倫は悪? 僕の結論から言えば、社会レベルでは悪とすことに賛成。個人レベルでは絶対に悪とはしたくない。 先に不倫の特徴を考える。 ・だれもがもつ性欲を満たす手段。 ・夫婦愛が満足されたときに埋められてない欲求に向かう自然な法則。 ・理性でなく無意識にあるもの。意識できない上に危険。 ・性の可能性 以上をふまえると、理性で性欲を完全にコントロールできるなら、そうでありたい。 でも完全なんてないし無理だ。偏りすぎるのも良くない。 なぜなら性欲のプラスの作用よりマイナスの作用のほうが多そうだから。だがこれは社会的に刷り込まれているようにも思う。 性欲のマイナス面。もし、社会が不倫を応援する場合どうなってしまうか。・・・街で目の合った男女がホテルに行き性行為をする。性欲のパワーはすごいので、皆が目をギラギラする。理性でなく欲が支配する社会?不倫ビジネス。犯罪もきっと増える。 その反面、結婚した夫婦は純粋に生きていくパートナーとしての価値観となるかも。 教育への影響はよくない。性に敏感な年に不倫が善とすることを知ると、無意識、愛を感じ、何かを信じることへと考えることにそもそもの不信を覚えると思う。 欲というのは使い方により人の可能性を引き出す源泉。今、自分を使って実験をしているのだが、欲と理性、夢への逃避と現実への集中力。結局はバランスだろう。だから、上手く使いこなせるなら使えばいいし、できないなら手を出さないのが無難。 建築を考える。建築、特に住宅はそこに住む「人」のための存在。 だから理性という人間の綺麗な部分(健康、成長、美)と、欲などの本来の人間の部分、全部を引き受け、受容しないといけない。内面的な部分もあり、外見的な部分もある。Aでありまたその反対のZでもある。だから美しく、また普段着のような着心地、感嘆の時もあり、それが物語として時間として連続している。時間の連続性は空間の不連続性により節度を人にもたらす。 だがこれは自分。価値観の依存度により表現の中では濃淡が現れることになる。 ファッションを考える。異性にモテたい欲や自己顕示欲、そして周りに合わせる。一見綺麗にみえる。表現という意味でそれも人がつくる一面。場当たり的で実在としての自己がない。中心がどこか空虚だ。そこにあるのは内面と外見の関係、その関係とだれかのその関

揮発性物質?

アイデアは一瞬で揮発する。 アイデアは連鎖する。 その大切な瞬間は二度とこない。紙とペンこれ以上にこれを逃さない方法はないいのだろうか。 シャワーを浴びている。アイデアが沸々と湧く。裸のままノートへ急ぐ。・・・こんなの健康的じゃないけどなーと思いながら。 夢のようだ。いつも覚えてられない。面白いことなのにーと悔む。 それぞれの瞬間には奇跡が起きているのに残念だ。

コンセプトの幻

・自分の立場を守るため、どうでもいいと思いながら必死に食らいついている人たち。手段の一つであり、目的化している残念さ。 ・立場表明?:政治家のモノマネ? ・自分にコンセプトをもって生きているか?自分の子供に「これがこの子のコンセプトだ」なんて誰かに説明するの? ・言葉の世界のつまらなさ。 それは造る目的を一貫性という一見綺麗な理性的な部分の幻にすぎない。 自己矛盾を肯定的にとらえることが必要か。