雑念

個人の主義主張は自由である。しかし社会はそれを受け入れない。社会と自分の距離、そこに隔てる何かは自分の中にある。
建築が総合的な概念として存在するとしたら、すべての存在を受容し、概念として拡大し続ける。それは主体的な意思とは無関係な領域で、誰かが利得のために利用する。
それは強い意思を持つものからは、チャラくて信じがたい存在に見える。雑念。
力が与える負の作用は、直球以外の変化球をみすみす見逃す。それは己が己であることを信じるが故の他との差異について執着するからであろうか。だが、同一性を意識することにより、見逃しではなく、見送りとなることに気がつく。それは今をどう楽しめるかということへの僕にとっての画期的アイデアであった。

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