顕神の夢―幻視の表現者― 藤井達吉現代美術館
藤井達吉現代美術館での展覧会 『顕神の夢―幻視の表現者―村山槐多、関根正二から現代まで』に行ってきた。
巨匠の絵画が一覧できる魅力はもちろん、その内容は圧巻だった。
観に行って1週間経つが胸のザワザワ、グーっとくる胸への深い圧力がさらに深くへ止まらない。
言葉で表現することがおこがましくなってしまうが、神なる存在との共鳴、顕現とまで言っていいほどの多くの作品は、その作家の個性により表現は異なるが、どこかでそれらの作品は繋がっていて、無為で、弱さと強さを兼ね備え、地に足がつき、輝いていた。
また、それら作家の言葉も絵画と合わせて展示されていて、特に、横尾龍彦、河野通勢、関根正二、三輪洸旗、横尾忠則の作品とその言葉は深く共感し、感銘を受けた。
本展の冒頭の記述に、『本展は、モダニズムの尺度により零れ落ち、評価されなかった作品・・・中略・・・を、新たな、いわば「霊性の尺度」で作品を測りなおすことにより、それらがもつ豊かな力を再発見、再認識する試みです』と記載があったが、絵画においては知らないが、建築において、霊的な尺度は、時代ごとに語られることはあったが、今この情報化された社会だからこそ、情報として消費する対象でないこの尺度で意識的で再認識することは必要だと思う。
2つほど展覧会にあった言葉を記載します。
われわれの一才はうまれつゝある。神も宇宙も、しんら万象のことごとくが常に生まれつつある。
岡本天明「日月神示、地震の巻」
天と地が一体になって初めて芸術が成立する
絵を描く時、いちいち考えて描かない。むしろ脳を空っぽにしてただ肉体のおもむくままにまかせる。言い方を変えれば、肉体を脳化することになろうか。
頭に観念や言葉があると、理屈っぽい絵になってしまう。理屈を否定し、解放して描くのに、観念に支配されれば、これは僕の絵ではない。
・・・後略
横尾忠則
美術館が近いので、会期中に再度行こうと思う。
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