youとit


ただの箱なのか家なのか。

家を建てるのに必要なスペースだけがあればそれでよい。そうであれば、家を建てるのに建築家は必要ないかもしれません。

そんなことない。家には合理的なだけではない、喜びや豊かさ、情緒性、包容力、、、様々な要素が必要だと思います。

しかし、昨今の一般的な建築は、多くの既製品を組み合わせて作られていて、コスパ、タイパが求められる現代社会でよりその方向に加速していて、建築がどんどん貧相になっているように思います。大切な何かが少しずつ欠けていっているように。


私が建築を作る際、仕上げの部分では特に既製品を使うことを避けます。

「ちょうど良い」既製品があれば使いますが、そのちょうど良いってことがなかなかないので、0から考えることが多くなっています。

既製品の悪口を言うつもりはないですが、手作りの素晴らしさに私は心惹かれます。

既製品とは置換可能のものとして作られているものであり、より多く売れるために、汎用的に利用でき合理的に製造されることに主眼があると思います。


だから大量生産されコストカットができる反面、建築では、一件ごとに違う人が利用し、想いもことなる存在であるため、それがちょうど良く、美しく納まることはなかなかないのです。


置換可能性の問題は、建築の多くのことに対して通ずることです。


そこでマルティン・ブーバー(1878-1965) が言っていたことを思い出します。


人間関係で、人に対して" youとして扱うやり方 "と" itとして扱うやり方 "があるが、

(you=置換不可能性、 it=置換可能性 であり、)

人間はyouとして扱われると力は湧き、itとして扱われたり扱われ続けると力を失う。


と。


その言葉は、特に仕事へのモチベーションとして考えると理解しやすく、youとして扱われる際にその仕事がより光るものになると思います。


建築は人の手で築くものであり、その職人の一人一人が、より力湧き、意識的にその建築のためにつくっていく仕事があるからこそ、力強く豊かな建築ができるのだと思います。

また、それは設計も同様だと思います。

大切なのことは、細部の隅々に意識的に向き合うことでしょうし、ただただ建築を愛して、実践における責任感のある誠実な仕事をすることにかぎると思います。


造り手として、手仕事の跡が見える豊かな細部への執着ほど楽しい物はないと思います。


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