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住宅について考える

第35回JIA東海支部設計競  <帝国>と向きあうわたしの住まい の要綱を読んだ感想を覚え書きする。 まず要綱について、極めて実務的であり、リアルな設計者の立ち位置として何を考えるべきかを問うように思う。 以下要綱引用・・・ <帝国>で暮らしていく私たちにはどういった振る舞いが可能なのでしょうか? ここではその住まいについて共に考えてみたいと思います。 かたちに過剰な期待をして概念的な空間操作に終始する、あるいはアイデアを滑走させるだけでは、 その潮流を突き抜けて、その先に新たな可能性は見出せそうにありません。 どこで、だれと、何を使って、何に思いを馳せながら、どんなタイムスパンで、何を実現するため に、どういったアプローチで、といったかたち ・・・ を ・ 成立 ・ ・ させるための背景を再構築する中で、改めて 住まうということを掘り下げていく必要があるのかもしれません。 私見として・・・ 帝国は次のように考えているのではないか。 資本主義による効率的な社会循環のため、大量生産大量消費を作り出す。 大量生産、大量消費のメリットは 1. リスクマネジメントに優れている。 2. 安定的な製品管理が可能。 3. 安く、汎用的な製品が実現 4. 雇用の拡大 ・・・ 各メリットと考えられる項目の副作用により次のようなデメリットが考えられる。 1. 一消費者との関係がうまくいかなくても、他の消費者でそれを補填する。販路の拡大が必要であり、それに伴い実工事費以外の部分で多くの営業費用が発生してしまう。そのため、建築であれば建物本体の低コスト化が第一に求められ、質の部分が削がれていってしまう。 2. 専門職ごとの分業化を進めすぎる中には、人の保守的にな部分により、プロジェクトの本来の意図とは異なる要素が入り込み、建築部材であれば、過剰設計となってしまっていたり、法的な事柄であれば、縛り付けられた融通のきかないルールとなってしまったりする可能性がある。 3. すなわち、本当に欲しいと思う、個別に対応する製品がない。 4. 経済規模の拡大に伴い、労力を補填するために次々に雇用が必要となる。その雇用者を統制するために、統一したルールの厳格化や、崇高な理念を掲げ、個人を会社に同一化させる。会社の数だけ、さまざまなパターンがあるが、個人