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12月, 2021の投稿を表示しています

竹村さんの家具

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  家具職人の竹村さんの納品に立ち会った。 施主さんの要望で映画の一シーンに映ったもののをイメージで伝え、ウォールナットで作ったもの。 竹村さんの家具はいつも誠実で、寸分の隙のなく、実直である。 もう70歳超える大先輩の作る家具には、何百年も使いつづけたくなるような、時間を乗り越えるパワーがあるように感じた。

谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館、鈴木大拙館 を訪れて

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親戚の結婚式の寄り道で、久々に金沢に行ってきた。 谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館で 「静けさの創造」-谷口吉生の建築をめぐる-  の展覧会 と鈴木大拙館を見学してきた。 谷口吉生氏の建築は、私自身が建築を志した時から、あえて意識することはないが、どこか無意識に意識してしまう対象であり、彼の建築に対してあまり語らない姿勢を魅力的に思っている。 説明する必要もない巨匠の一人だが、彼の建築の特徴と、私が見る建築への向き合い方を少し綴ってみようと思う。 谷口氏を語る上で、本「谷口吉生の建築  淡交社」の中の槇文彦の文説はとても興味深く、 ミース・ファンデル・ローエの遠心的な壁の配置から求心的な空間へのという設計アプローチの類似性や、 安藤忠雄氏の壁はアプリオリにコンクリートの壁であり、その特性をあらかじめ計測の上で作業が進めていくのに対して、谷口氏を、壁は壁でも与えられた条件の中で、どのような壁にすべきかが選択され、構築されていく。という点、 「座」というシークエンスによる空間構成、 これらは、とても分かりやすくその特性を述べていると思う。 私が体験する谷口氏の建築の印象、 スクリーンをコラージュするような技法で建築を構成しているという点。 それは、壁、窓、格子、植栽、外構、トップライト、各種建築構成物を巧につかって、日本的な面による構成を、緊張感ある洗練されたディテールで、シークエンスの中で連らせている。 その体験の中には、「面」の表裏の概念が、互いに尊重し支え合い、時に透き通るように、その哲学的意味を自然と受け入れることのできる人間の品性を感じることができ、物質性を超えた芸術に近づいているように思う。 また、工学的な理解による洗練されたディテールと、それに支えられた空間からは、世の条理に誠実に向き合う姿勢が垣間見れるように思う。 次は、鈴木大拙館 閉館間際に行ったので、人が最後には自分たちだけになり、夕日が沈む瞬間と自律する建物との贅沢な対話の時間はとても貴重な時間だった。  彼の建築を語ることは痴がましいとも思うが、自身の設計への姿勢を啓発してくれる貴重な体験であることは間違いないと思う。